呉線の大型蒸気たち |
広島と三原を瀬戸内海に沿って結ぶ呉線。途中は到るところ
で海を見ることができ、風光明媚な路線です。 そして昭和40年代前半は、何よりも日本で唯一C59の残る路線として有名でした。戦時中の要所「呉」を通る為、 路線規格が幹線級だったのが、この大型蒸気が最期まで活躍できた理由でした。私が始めてこの路線を 訪れたのは1968年3月のこと。そしてそれが始めて撮った蒸気の走行シーンでもありました。中学を卒業して 初めて遠出の鉄訪 問!! 同行は皆様ご存知のカモさんでした。それがC59とC62だったのですから贅沢な 話かもしれませんね。この時は僅か一日だけの広島訪問で、あとは関西私鉄巡りだったのですが、その後 1969年1月、1969年8月、さらに1970年8月と訪問しました。 いずれも高校時代でまだトライXも使っておらず、 カメラはオリンパスペンと父親の6x6のヤシカフレックスだけ。勿論標準オンリーでした。高校2年の夏に ようやく 一眼レフを手に入れ、その年の夏は135ミリも使えましたが・・・!特に朝の小屋浦で撮った通勤列車群は ほとんど露出不足気味でした。そんなデキの悪い写真ばかりですが、ご覧いただきたいと思います。 |
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![]() 1969,1 雪の広島駅にて 夜行を降りて待っていたのがC62牽引の客車でした。 1969,1 小屋浦にて 朝は続けて通勤列車が広島に向かいましたが、冬はまだ夜もあけずご覧の通り。 1969,1 小屋浦付近にて 瀬戸内海をバックのシルエット、ここも今は埋め立てられたようです。 1969,1 小屋浦付近にて 朝の通勤列車は長大編成の客車列車でした。 1969,8 小屋浦付近にて 臨時の急行「音戸」客車は当時の最新鋭12系、しかしカマはD51でした・・・ 1969,8 小屋浦付近にて C59牽引の通勤列車、鈍行とはいえこの編成だとC59にも似合います。 1968,3 小屋浦付近にて トンネルの飛び出しを狙ってみました。 1969,8 こちらはトンネルの上からです。ここも今はどうなっているか・・・ |