2019年3月第3回

思鉄世代の若かりし頃、本州とレールが繋がっていたのは、本州と九州の間だけで

でございました。なので北海道へは青函、四国なら宇高って具合に連絡船に乗って

鉄旅に出掛けたんです。で、今回の駅撮り先ずは、接岸直前の宇高連絡船阿波丸

デッキからスナップした、旧高松駅駅舎と連絡船桟橋などから写真をご覧頂きます。

左側の5階建ての長いビルが、国鉄四国総局も入っていた高松駅駅舎、そのビルの

右側半分位んとこに3面6線の頭端式ホームがございました。そしていきなりの夜景と

なりましたが、それは当時四国でも夜行列車のスジがあって、そいつに乗るんで夜の

夜の高松駅にいたからなんです。キハ58系が4本停まっている夜の高松駅、その内

真ん中2本の右が0:58発603D急行うわじま2号宇和島行き、左っ側がアッシの乗った

0:19発733D普通夜行列車中村行きでございます。普通列車って言ったって、733Dは

そんじょそこらの普通列車たぁ訳が違っちゃうのです。あしずりの折り返し運用733D、

種別は普通列車でも編成は急行のまんま、3号車はなんとキロ28なんでございます。

その頃のビンボ〜鉄の必需品は、北海道や東北など域内国鉄線が、乗降自由になる

均一周遊券でございました。この均一周遊券、今の18切符なんざぁ足元にも及ばない

コスパ、この時使った四国均一周遊券が、通用12日で東京から学割5,900円でした。

この均一周遊券と普通グリーン車運行区間81km以上連続線区が、合体しちゃうと

ビンボ〜鉄最強のアイテムとなったのです。だってグリーン料金81km以上300円が

天井、なのでキロ28に中村まで274.9km乗りゃ、300円=ホテル代化けちゃうのです。

そして時は0時19分、DMH17のエンジン音と供に高松駅を発車する、733D車窓から

4番線で発車を待つ急行うわじま2号をシツッコク駅撮りでございます。

予讃本線 高松 1974-8

Photo by 松原の親方

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