奥中山の蒸気機関車

 

東北本線、御堂ー奥中山。昭和43,10,1 いわゆるヨンサントオで電化された盛岡以北の東北本線で、
最大の難所といわれたところでした。最大23,8‰の連続勾配が続き、大動脈本線ならではの輸送量の
多さもあって、ほとんどの列車が補機つきで登っていました。そしてあまりに有名だった前補機2両の
三重連が見られたのもここでした。私が友人とここを訪問したのは、電化を二ヶ月後にひかえた1968年
8月のことでした。この日は生憎の雨模様の天気で、しかも上り勾配に挑む三重連は御 堂を発車する
一本だけしか撮れませんでした。そのたった一本の列車も、駅を出て歩き始めたばかりで、まだ準備も
整わないうちに来てしまい、結局ひどいピン ボケ写真しか残せず・・・。何しろ列車密度・というか蒸気の
密度がすごく高くて、全部の列車を撮っていたら移動もできないという、今から思えば怒られそう な
状態でしたから、本来この列車は見送る予定だったのです。全くトホホ・・・以外の何ものでもないですね。
この日は御堂から平行している国道を歩き始め、写真を撮りながら奥中山の先のトンネルのところまで
歩きました。約10キロ以上の区間でしたが、今ではとても不可能でしょうね。すでに全線架線が張られ、
おまけに高校一年の時の下手な写真ばかりですが、宜しければご覧下さい。

なお、撮影はすべて1968年8月17日です

 

御堂  予期せずやってきた三重連!! ご覧の通りのピンボケ写真ですが、これが唯一の奥中山三重連力行
写真となってしまいました。(トホ ホ) 

御堂ー奥中山  重連で坂に挑む旅客列車。

御堂ー奥中山  今となってはそこがどんな場所だったか記憶もさだかではありませんが、この築堤は今でも
覚えています。

御堂ー奥中山

奥中山ー小繋  奥中山を出発してトンネルまでの間、最後の登りに挑むC60 15号機牽引旧客列車。

奥中山ー小繋 こちらはトンネルの上から撮影です。

奥中山ー小繋 隋道を飛び出すD51。

御堂ー奥中山 勾配を下ってくる三重連  煙はなくてもやはり迫力がありました。

御堂ー奥中山 上の写真の列車の後追いです。

 

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