2004年6月第1週 |
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優等列車に名前が使われていたのが兼六園でした。当然急行”後楽”も特急”偕楽”も 無かった。もっとも偕楽じゃ”快楽”と間違えそうでやばいかな??? 1966年10月にデビュー。登場時はサロ2両にサハシ2両を挟む12両編成で、堂々たる 急行編成でした。エッ ”特急編成”じゃ無いですよ”急行編成”ですよ!今じゃスッカリ 死語になってしまった、サハシやサシも普通乗車券以外に急行券を払ったお客さんに 利用して貰うのが、当時サービスが・・・っと言われた国鉄でも当たり前のことでした。 さて「兼六」はその後”くずりゅう”と併結編成も加わり、2往復運転に増発されたものの、 これは一時の間で、1968年10月以降は、再び一往復運転に戻りました。この原因は ”しらさぎ”への格上げ、この頃から急行の特急化が進展していき、残った「兼六」も、 1975年には”しらさぎ”に統合され、姿を消したのでした。色々なネーミングのHMを 誇らしげに掲げて走っていた北陸本線の電車急行。オジサン鉄が泣こうが、喚こうが、 急行列車が輝いていた時代は遠ざかるばかりです。
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