2022年12月第1回

久しぶりの駅撮り探検団国鉄ネタは、松原物故団員撮影のモノクロ銀塩から蔵出しで

スキャンした、1972年2月に国鉄宮古線として開業約1年後の終点田老でございます。

当時の田老は、現在と違って1面1線の棒状駅でしたが、V字形状の上屋から将来は、

島式1面2線の配線を採れるよう、端から造られてたんですね。そのホームに停車中の

列車は、当時の非電化区間ローカル線の定番キハ20形と思ったら、キハはキハでも

DMH17を2基装架した、52の方でございました。最も営業キロ12.8kmの盲腸線なんで

宮古線専用の運用車両なんぞは、端から無しで恐らく難所区界峠のある山田線との

共通運用だった様でございます。撮影当時の宮古線は、1日たった3往復のスジしか

引かれてなかったんです。それが今じゃ、宮古〜久慈に12往復の列車がございます。

ホントに三セク三鉄様々、ろくな事の無かった、国鉄解体も吉と出る事あるんですね。

コチラは、久慈方面ホーム端から見た、当時の未成線部分でございます。レールの

先にゃ、今の新田老駅との間に在る、短い第一田老トンネルが見えてますね。

築堤上の田老駅を下の道路から見上げたアングルです。道路の先の建物が地震で

壊れた駅舎兼観光案内所、その右側の法面に見える白いところが、今も同じ位置に

在るホームに上る入口でございます。まかり間違えれば、盲腸線のまま廃線になった

かも知れない、国鉄宮古線を存続してくれた、三鉄には感謝しかございませんね。

今頃になって、急に赤字ローカル線ナンテ止めたいナンテ言ってる、JRナントカたぁ

三鉄は大違いですね。

 国鉄 宮古線 田老 2003-10

Photo by 松原の親方

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