松原遊士&武蔵高萩の 木曾森林鉄道  1970年12月編 (by 武蔵高萩)
1970年12月に私(武蔵高萩)が、1971年8月には松原の親方が現役時代の「木曽森林鉄道」を
訪問しています。その後復活した赤沢へも松原遊士氏が行ってます。今回はこの二人の合作で
「きそしん」を構成しました。中央西線のD51撮影のため、早朝の上松駅に降りてびっくり、オモチャ
の親戚のような車両が所狭しと線路の上にころがっていて、それがまたちょこちょこと動いているの
がすごく新鮮でした。当時は檜の伐採が盛んで、国鉄上松駅に隣接した貯木場には森林鉄道で
運搬されてきた木曽檜が満載されていました。ちょうど折り返しの客車「みやま号」が混合列車で
発車して行き、これから一日の作業が始まるところでした。ほんの少しの間でしたが、生きている
森林鉄道に触れる事ができました。早朝のほんの一コマですがここにご紹介します。

「みやま号」が上松を出発して木曽川の鉄橋を渡る、
最後尾には貨車が1両ぶら下がってます。

朝の構内、「みやま」のヘッドマーク?をつけたDLが入替中。

右の「保線車」はさらに小さい。

左は乗車規則が掲示してあり、乗車には「営林署発行
の証明書が必要」等の注意事項が書いてあった。

今朝の「みやま号」のお客さんは何人でしょうか?

構内は材木の山。

林鉄が最も輝いていた時期だったのでした。

この巡回用保線車の走っている所を一度見たかった。

貯木場のヤードにて林鉄とは思えないほどの長い編成。
レールも立派で、ここから見る限りナローには見えないですね。
冬の早朝は太陽が低く、自分の影が写り込んでしまいました。

KATO WORKS製 No98この手の機関車、
昔はどこにもあったのにいつの間にか貴重に
なってしまって・・・

ボールドウィン製 1号蒸気機関車

  

当時、ボールドウィンは小さなクラに保管されており、頼むと見せてくれました。クラの
中は狭く、何故か私が訪れたときには片側しか扉を開けてもらえなかったので、35mm
広角レンズでは全部を納められませんでした、残念!上の2枚は松原の親方撮影、
下の1枚はかろうじて撮った私の写真です。小さな機関車に山火事防止用としてつけた
大きな煙突がユーモラスでした。

 

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