天王寺界隈阪和線

 

大阪市内に環状線、阪和線、関西本線、近鉄を跨いでいる、天王寺バイパスという府道が
ございます。バイパスのJR3線を跨ぐ部分の東側には、歩道橋が路併設されております。
その歩道橋で40数年昔に撮影した、ネガをコロナ渦外出自粛で蔵出しスキャン致しました。

1974-9-2 撮影 Photo by 団長

 

高架の阪和線とアンダークロスで交わる関西本線を走る、101系普通列車湊町行き。

1973/10の奈良〜湊町電化から約1年後、コンクリートの架線柱も白いまんまですね。

当時、阪和線と天王寺バイパスの間で視界を遮る建物は、今も健在の漢方ビルだけ

だった様でございます。

阪和電鉄以来の高架区間を走る鳳行きの各停、クモハ73+サハ78+モハ72+クハ55と

推定した4連でございます。

あびこ筋から続く国道25号線を越えて天王寺に向かう回送列車、クモハ73+クハ55+

以下は当るも八卦当らぬモ八卦でクモハ73+サハ78+モハ72+クハ55らしい旧国6連。

寺田町を出て天王寺に向かう101系を大阪環状線外側から撮ったけど、ケーブル類や

架線柱が、煩すぎて失敗だった。ところで、右側のラーメン架線柱は、関西本線なのか

阪和線なのか?関西本線と環状線は天王寺駅でのホームは同一レベル、阪和線は

高架ホーム、それなのに阪和線の高架部分を写さずにバイパス歩道橋から環状線を

撮れたんだろか?どうも位置関係が、イマイチ思い出せないんです。

先頭車クモハ60の区間快速、接近気付くの遅れ慌てて撮った結果流れただけなんで、

架線柱が妻面に刺さっちゃった情け無いカット。

3番目に貼った回送6連が、多分区間快速として折り返して来た73系+40系旧型国電。

お次は環状線内回り側から101系を撮る、コチラの方が障害物が少なく幾らかマシか。

今も現存する漢方看板のビル脇を通過して天王寺に向かう、クハ55先頭も阪和線

区間快速。しかし、此のアングルもケーブルが、編成に掛かちゃってますね。

最後に大阪鉄道病院屋上にあった、クハ79形のカットボディーでございます。しかし、

如何してこんな物が病院の屋上にあったのかな?もしかして運転士さん車掌さんの

リハビリ用でしょうかねぇ。

 

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